2010年2月25日木曜日

大熊紘子「思春期型の女性の今」トーキョーワンダーサイト本郷

絵の先生と申し合わせて上野で落ち合い、大熊紘子さんの「思春期型の女性の今」をトーキョーワンダーサイトで見てきた。

いま御茶ノ水でお茶をしてバラけたところですが、
コンテンポラリーアートってのは平面ベタ塗りを良しとする僕の理解の範疇外だけど、
伸びるロール紙が面白カッコヨカッタです。シンパシーを感じた。

逆スパイダーマン的な動きはなんかイイ。


アートとか芸術ってのも色々有るんだなぁとも

あと、来客のジャンルの多様さにもちょっとイイなと思ったり。

国立西洋美術館で常設も見てきた。

国立西洋美術館で企画展の半券が有ったので常設展の方も見てきた。

何年か前にもみたもんだが、駆け足で見ててなんとなく色々思うところが。

●ウジェーヌ・ブーダン
「トルーヴィルの浜」
絵は優雅なもんだ。
浜遊びしてる。
空も綺麗。
だが、何か画面が荒れてる?なんだ?
(こういうもんだっけ?)

●ルノワール
「帽子の女」
記憶より半段暗い感じなのを初めて感じた。
教科書で見たような気もするがもしかしたら製版技師が露出補正しちゃって明るくしたんじゃないかな?
(記憶色によるものとは思うけどね)


●ジャン・デュビュッフェ
「美しい尾の雌牛」
これ、いまでも評価されるのかな?
確かに塗りはいいが、マンガな世界だよな。

じっくり、したり顔で日曜に西洋美術館と言うのとかなり意識的に違う気分で見れたのは新鮮だった。
レジェとかも扱いがぞんざいで、ヤバイとこに置かれたり、変なとこに突如彫刻があったり…

あと、すきすきの館内で仕事のメールをケータイで書いてたら注意されたが、デジカメでバシバシ写真撮ってる女は注意されてなかった。

50周年らしいが、国立西洋美術館、どーなってるんだ?

国立西洋美術館50周年記念事業「フランク・ブラングィン」展に来ている。

国立西洋美術館50周年記念事業「フランク・ブラングィン」展に来ている。

「ブリュージュのヤン・ファンエイク広場」

「ブリュージュのヤン・ファンエイク広場の恋人たち」

夜の1段落としたインディゴの夜の色がいい!

1910年
「工業なフリーズ」
プロレタリアな感じとモウモウと上がる煙突の煙、徒党を組む人間の進行など、時代の躍動感すら味わえる。

中々面白かった。
諸事情により駆け足でまわったが、高い満足度だった。

2010年2月9日火曜日

ワンフェスに行ってきた。

ワンダーフェスティバル(ワンフェス)に行ってきた。

出店(出展なのかな?)する友人がいたのでイイきっかけと思って出掛けてみた。
オタク文化の極みのひとつフィギュアを作って売る即売会。
年二回、夏と冬にやる祭典。


近年のニューストピックとしてはビックサイトで開催された際、エスカレーターを逆流させたこと〜それなのに怪我人をひとりも出さなかったこと〜が記憶に新しい。
(アイドルの追っかけではああわいかない、友好的普段は繋がりのない繋がり)


僕自信は写真や絵ばかりなので三次元はやっぱムズイよなーと第一印象。
散策しながら結構作るものがみんな片寄ってるよなーとか思いながら。

予想では、もっとハッチャケイベントなのかと思ったが、
やはりモチーフがありその多くが二次元でそれを三次元化する辺りにエネルギーの大半が注ぎ込まれてしまい、
振りきってはいるけど何かモヤモヤしている感じだなと。

恐らくモチーフ選びの動機がキャラ萌えにあり、それらがある種の縛りを設け、
例えば、あんなポーズこんなオフショット…
というようなイメージが破綻してしまうことを彼ら自身がセーブしているのだろう。

そのキモチはよく解るし、悩み尽きない感じでもあるなと。

そんな中、一卓だけ気になるものがあって
(モチーフ、作りが独走的で綺麗なだけでなく動きが可愛い)
で話してみたら面白そうな人なので名刺が無かったから連絡先をもらってきた。
(あとでわかったのだけど、その人は作家さんじゃなかったw)


あと面白かったのは、文化の継承というか、場の雰囲気というか、
昔からの連綿と重ねてきた古いオタク文化を真摯に継承してきた真面目なイベントなんだなと思った。
(僕の幼少期、近くには真面目な「趣味にふけるひと」達が多くいた。まだ彼らが謙遜気味に二人称を敬意を込めて「お宅は…」と話していた30年近く前だ)

と同時にやはりここは僕の居るべき場所でもないな〜と。

出店されてた品ではサンレッドのアニマルソルジャーや、サマーウオーズのアバター「キングカズマ」などが好印象だった。

確かに数多くのアニメに登場したヒロインキャラの流麗な動きや髪を振り乱す動きは心打つ何かは有るのだろうけどそれだけでイイのかなぁという変なキモチにもさせらるた。

あとコスプレなおねいさん方もあまた居たけどフィギュアを撮る方が楽しく正しいと思えシャッターを切らなかった。

多分コスに関しては「撮る僕の考える女の子像」と「被写体のコスのおねいさんが思う自分像」が大きく乖離しているから、僕はなんだか気分じゃなくなってしまうんだろう。
僕は目の前にいる女の子の女の子らしさや、綺麗さ、初々しい感じ、瑞々しさを撮りたい訳でかなりの不整合が起きてしまうみたい。

なんかそんな感じをひしひしと感じた次第。
撮ってきたフィギュアを暫しご堪能ください。