第33回東京五美術大学連合卒業・終了制作展を見てきた。
その4
女子美術大学のスーパーエースはシルバーやら蛍光ピンクの使い方が上手い様で舌を巻いた。いゃ、他も凄いから余裕が有ってできることなんだろうな〜。
We are art pal! こんにちは、アート・パルです。 展覧会開催を目的とした芸術サークルで約年1回のグループ展を開催。 絵、立体、造型、写真、映像、その他諸々メンバーのやりたいジャンルの作品を公開。 このブログは展覧会開催とメンバーの近況をお伝えします。
女子美術大学のスーパーエースはシルバーやら蛍光ピンクの使い方が上手い様で舌を巻いた。いゃ、他も凄いから余裕が有ってできることなんだろうな〜。
●総評
デジタルとの対決から覚めて、不況只中の日本を明るくしようという全体傾向と人間だからという開き直り、10年以上前から続く鬱路線などがキリモミしてる状態だった。
全体に彩飾されたカオスといった感じが出ていたので展覧会としては大成功だったのではと思う。
今回見てきて美大とは隔絶した環境で絵を描いてきた自分には各大学の傾向が見れて非常に面白い体験だった。
やはり環境なのか師匠なのか、教わる学校で随分と人は変質するのだなとも。
変質が化学変化なのか劣化、はたまた汚損なのかはそれぞれによるが、学校ごとの勢いも見てほしい。
各作品にはキャプションを可能な限りつけている。
無いもの、取り違えたものはご容赦戴きたい。
(当方的には日本のアートシーンはもっと華やかで人に元気を与えるモノであってほしいと思うから、新しい人が画壇なんかに囚われず元気に活動できればとも思います)
●当方が感じた傾向は
★武蔵野美術大学
作品がのびのびしていてデイスプレイも面白い。
作品にバラツキがあり、個人が伸びる人とダメなひとが明確に別れて興味深かった。
粗削りだが、発想で抜きんでてたり、見る人との対話ができていた。
★女子美術大学
見せ方はよかった。作品自体の定着も良く、まとまっており、まとまってしまった感じ。
デイスプレイは個人を尊重しないキュレーターかディレクターのひどさがあり、師弟関係の厳しさ、理不尽さが良く伺えた。
まぁ、エースは優遇されてるから、とにかく抜きんでれば問題ないのかな?
★東京造形大学
展示スペースと作品ボリュームがちぐはぐでもったいない感じがした。
大学自体の政治力の無さと学生のやる気の爆発加減が一致していない感が凄い。
ある意味残念な結果になってました。
作品のキッチュな感じと前衛的なアクションは非常に良いので大学自体の方向は良いと思うんだけれど、入れ物としての大学が…
あと、キャプションの配置など大学のディレクションが下手に思えた。
作品はムサビ、女子美タマビなどのスーパーエース級がいない分地道な強さが滲み出てて泥くささがナイスでした。
(なにしろ狭すぎだ…)
★日大芸術学部
元気が少し足りない感じ、作品自体の破壊力や完成度から少しがっかり。
学校に勢いがないのかな?
筋の良い割りとイイコな感じのモノが多くオンバヒガサな感じなのかも。
強いて言えばサイズが大きく優しいものがありそれはそれで好きな感じだった。昔行きたい大学だっただけに残念かな。
★多摩美術大学
作品が多くひしめいていた。
スーパーエースが割りとゴロゴロしていてそれだけに屈折と挫折とか。
綺麗にパワフルに振る舞っているが輝けない何かを学校が背負っている感じ。
グロい、ウツウツとしている前時代的なアートからまだ抜け出れていないスピードの遅さが露呈していた。
とにかく気持ち悪い作品が多く、並びも終わりの方に見たのでインパクトより食傷気味で「もういいよ帰って」と言う感じだった。
何より作品が有りすぎて対処に困ってる学校が見えるようでツライ。
せめぎ合いの中で何か見つかる…のか?という微妙さの応えも頂いたような気がする。
まぁ、実社会はそこまでビビッドでドギツイモノを求めて無い気もするが、彼らの生命力の片鱗は充分に感じられた。
●とりあえず
ケータイとデジカメで写して来たのでケータイを先行して投稿しておくとしよう。
いま御茶ノ水でお茶をしてバラけたところですが、
コンテンポラリーアートってのは平面ベタ塗りを良しとする僕の理解の範疇外だけど、
伸びるロール紙が面白カッコヨカッタです。シンパシーを感じた。
逆スパイダーマン的な動きはなんかイイ。
アートとか芸術ってのも色々有るんだなぁとも
あと、来客のジャンルの多様さにもちょっとイイなと思ったり。
何年か前にもみたもんだが、駆け足で見ててなんとなく色々思うところが。
●ウジェーヌ・ブーダン
「トルーヴィルの浜」
絵は優雅なもんだ。
浜遊びしてる。
空も綺麗。
だが、何か画面が荒れてる?なんだ?
(こういうもんだっけ?)
●ルノワール
「帽子の女」
記憶より半段暗い感じなのを初めて感じた。
教科書で見たような気もするがもしかしたら製版技師が露出補正しちゃって明るくしたんじゃないかな?
(記憶色によるものとは思うけどね)
●ジャン・デュビュッフェ
「美しい尾の雌牛」
これ、いまでも評価されるのかな?
確かに塗りはいいが、マンガな世界だよな。
じっくり、したり顔で日曜に西洋美術館と言うのとかなり意識的に違う気分で見れたのは新鮮だった。
レジェとかも扱いがぞんざいで、ヤバイとこに置かれたり、変なとこに突如彫刻があったり…
あと、すきすきの館内で仕事のメールをケータイで書いてたら注意されたが、デジカメでバシバシ写真撮ってる女は注意されてなかった。
50周年らしいが、国立西洋美術館、どーなってるんだ?
「ブリュージュのヤン・ファンエイク広場」
「ブリュージュのヤン・ファンエイク広場の恋人たち」
夜の1段落としたインディゴの夜の色がいい!
1910年
「工業なフリーズ」
プロレタリアな感じとモウモウと上がる煙突の煙、徒党を組む人間の進行など、時代の躍動感すら味わえる。
中々面白かった。
諸事情により駆け足でまわったが、高い満足度だった。
出店(出展なのかな?)する友人がいたのでイイきっかけと思って出掛けてみた。
オタク文化の極みのひとつフィギュアを作って売る即売会。
年二回、夏と冬にやる祭典。
近年のニューストピックとしてはビックサイトで開催された際、エスカレーターを逆流させたこと〜それなのに怪我人をひとりも出さなかったこと〜が記憶に新しい。
(アイドルの追っかけではああわいかない、友好的普段は繋がりのない繋がり)
僕自信は写真や絵ばかりなので三次元はやっぱムズイよなーと第一印象。
散策しながら結構作るものがみんな片寄ってるよなーとか思いながら。
予想では、もっとハッチャケイベントなのかと思ったが、
やはりモチーフがありその多くが二次元でそれを三次元化する辺りにエネルギーの大半が注ぎ込まれてしまい、
振りきってはいるけど何かモヤモヤしている感じだなと。
恐らくモチーフ選びの動機がキャラ萌えにあり、それらがある種の縛りを設け、
例えば、あんなポーズこんなオフショット…
というようなイメージが破綻してしまうことを彼ら自身がセーブしているのだろう。
そのキモチはよく解るし、悩み尽きない感じでもあるなと。
そんな中、一卓だけ気になるものがあって
(モチーフ、作りが独走的で綺麗なだけでなく動きが可愛い)
で話してみたら面白そうな人なので名刺が無かったから連絡先をもらってきた。
(あとでわかったのだけど、その人は作家さんじゃなかったw)
あと面白かったのは、文化の継承というか、場の雰囲気というか、
昔からの連綿と重ねてきた古いオタク文化を真摯に継承してきた真面目なイベントなんだなと思った。
(僕の幼少期、近くには真面目な「趣味にふけるひと」達が多くいた。まだ彼らが謙遜気味に二人称を敬意を込めて「お宅は…」と話していた30年近く前だ)
と同時にやはりここは僕の居るべき場所でもないな〜と。
出店されてた品ではサンレッドのアニマルソルジャーや、サマーウオーズのアバター「キングカズマ」などが好印象だった。
確かに数多くのアニメに登場したヒロインキャラの流麗な動きや髪を振り乱す動きは心打つ何かは有るのだろうけどそれだけでイイのかなぁという変なキモチにもさせらるた。
あとコスプレなおねいさん方もあまた居たけどフィギュアを撮る方が楽しく正しいと思えシャッターを切らなかった。
多分コスに関しては「撮る僕の考える女の子像」と「被写体のコスのおねいさんが思う自分像」が大きく乖離しているから、僕はなんだか気分じゃなくなってしまうんだろう。
僕は目の前にいる女の子の女の子らしさや、綺麗さ、初々しい感じ、瑞々しさを撮りたい訳でかなりの不整合が起きてしまうみたい。
なんかそんな感じをひしひしと感じた次第。
撮ってきたフィギュアを暫しご堪能ください。