芸術はバブル時代にチヤホヤされて、浮かれてたらトンと売れなくなったようだ。
芸祭の案内に村上が書いているのだから間違い無いのでは。
今日、芸祭の会場の前では3倍近くのスペースを使って「博麗神社例大祭」という同人誌の即売会をやっていた。
物凄い人ヒトひと。
間違いなく彼らはもの作りをする人間の関与する経済活動のメインストリームにいる。
そして芸祭側は、誰一人作品を買って帰らない経済活動の閉塞地といった風情をかもしている。
作っても売れない。
作ると作品という名の物体と概念が生まれ、やがて売れずにたまる。
売れずに溜まると目詰まりし歪む。
日本画壇の端くれだったらしい村上は30代に数枚の絵を売り家を建てたと今日もらった本で自慢している。
なんじゃ、それは?
もっとも彼以前の人間がもっとも浮かれていたのだろうから彼のせいだけではない。
家の一軒などお茶の子さいさいと。
バブル時代に絵は高いもの、一般庶民には買えないものと思わせてしまったあたりが現在の芸術不況を引き起こした原因のひとつのように思う。
(不況も何も彼らは産業の基板を作らなかったのだ)
バブルに浮かれていた彼らの大罪。
村上本人はこの状況下で、芸祭を使って教育をしたいと書いている。
それは手遅れだし既に遅くどうしようもない対応だと思う。
また、教育がビジネスになると睨んでいるならいい加減にしてくれと言いたい。
先人達を見習い日本画の画壇ならぬ村上流の村上マイ画壇のトップに立ちたいのだろうか?
団塊前後が、年金貰える年まで逃げ切る逃げ切らないという話しをしているが、バブルの恩恵に預かりながら未だ逃げ切るどころか焼き畑を増やすのだろう。
まぁ日本画壇、日本画の徒党は老人の集まりになってるだろうし(団塊の目詰まり現象、彼ら団塊は日本のどこでもそんな案配で居座り主張していて、非常に洒落て無い)、もう1つ新しくこさえて、手付かずの現代風芸術のファームからエキスをチュウチュウ…。
まぁ企画としては悪くないが、団塊後が考えそうなこと。
少し貧乏臭い。
どうすれば?という1つの答えは芸術的なものは軽く買えるものもあり、生活を少し良くしてくれる…。
と言ったような風潮を作ることだったのでは?
ただ、バブルの熱が覚めやる前、一般の見識が固まる前に作れなかったのは前世代の大罪だろう。
ちょうど食物自給率の激減に似ている。
経済潤ってる時期は安さが正義だったし、食べ物などは安いもので…と考えていたが、今では食物に適正な対価を払い買おうという意識が育たず国内産食物の生産量にが破綻してしまっている。
コミケには行ったことがないが、ナルホド凄いなと思わされた。
企業を通さず成立する産業と言った感じ。
Webやロングテール、マスの退廃を見るとある意味正しい方向なのかもしれない。
マスの大きな利権には局や諸団体のように群がるアリが現れるが、集合せず、でかくならなければ腐らないのかなとも。
ただ、自分を評価してくれる誰かに会うためにはヤハリ多くの目に晒される必要があるんだろうなとも思った。
芸祭がそれなのかはよく分からない。
もしかしたらコミケや博麗神社例大祭やワンフェスに場違いに成らない程度の武装をして晒されるのもいいのかも知れない。
(少なくとも彼らはお台場くんだりまで買いものにやって来るわけだしね)
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