にわかに囁き中。
みんなに連絡入れておっぱじめるかな!
We are art pal! こんにちは、アート・パルです。 展覧会開催を目的とした芸術サークルで約年1回のグループ展を開催。 絵、立体、造型、写真、映像、その他諸々メンバーのやりたいジャンルの作品を公開。 このブログは展覧会開催とメンバーの近況をお伝えします。
花粉症でメガネを掛けているからかもしれないけど、
昼頃までパラついた雨が空気を洗い流してくれたようで、冴え帰る夜の空気がとても綺麗だった。
夜の闇は遠くまで続き、立体的な世界が冷たく輝いていた。
芸術はバブル時代にチヤホヤされて、浮かれてたらトンと売れなくなったようだ。
芸祭の案内に村上が書いているのだから間違い無いのでは。
今日、芸祭の会場の前では3倍近くのスペースを使って「博麗神社例大祭」という同人誌の即売会をやっていた。
物凄い人ヒトひと。
間違いなく彼らはもの作りをする人間の関与する経済活動のメインストリームにいる。
そして芸祭側は、誰一人作品を買って帰らない経済活動の閉塞地といった風情をかもしている。
作っても売れない。
作ると作品という名の物体と概念が生まれ、やがて売れずにたまる。
売れずに溜まると目詰まりし歪む。
日本画壇の端くれだったらしい村上は30代に数枚の絵を売り家を建てたと今日もらった本で自慢している。
なんじゃ、それは?
もっとも彼以前の人間がもっとも浮かれていたのだろうから彼のせいだけではない。
家の一軒などお茶の子さいさいと。
バブル時代に絵は高いもの、一般庶民には買えないものと思わせてしまったあたりが現在の芸術不況を引き起こした原因のひとつのように思う。
(不況も何も彼らは産業の基板を作らなかったのだ)
バブルに浮かれていた彼らの大罪。
村上本人はこの状況下で、芸祭を使って教育をしたいと書いている。
それは手遅れだし既に遅くどうしようもない対応だと思う。
また、教育がビジネスになると睨んでいるならいい加減にしてくれと言いたい。
先人達を見習い日本画の画壇ならぬ村上流の村上マイ画壇のトップに立ちたいのだろうか?
団塊前後が、年金貰える年まで逃げ切る逃げ切らないという話しをしているが、バブルの恩恵に預かりながら未だ逃げ切るどころか焼き畑を増やすのだろう。
まぁ日本画壇、日本画の徒党は老人の集まりになってるだろうし(団塊の目詰まり現象、彼ら団塊は日本のどこでもそんな案配で居座り主張していて、非常に洒落て無い)、もう1つ新しくこさえて、手付かずの現代風芸術のファームからエキスをチュウチュウ…。
まぁ企画としては悪くないが、団塊後が考えそうなこと。
少し貧乏臭い。
どうすれば?という1つの答えは芸術的なものは軽く買えるものもあり、生活を少し良くしてくれる…。
と言ったような風潮を作ることだったのでは?
ただ、バブルの熱が覚めやる前、一般の見識が固まる前に作れなかったのは前世代の大罪だろう。
ちょうど食物自給率の激減に似ている。
経済潤ってる時期は安さが正義だったし、食べ物などは安いもので…と考えていたが、今では食物に適正な対価を払い買おうという意識が育たず国内産食物の生産量にが破綻してしまっている。
コミケには行ったことがないが、ナルホド凄いなと思わされた。
企業を通さず成立する産業と言った感じ。
Webやロングテール、マスの退廃を見るとある意味正しい方向なのかもしれない。
マスの大きな利権には局や諸団体のように群がるアリが現れるが、集合せず、でかくならなければ腐らないのかなとも。
ただ、自分を評価してくれる誰かに会うためにはヤハリ多くの目に晒される必要があるんだろうなとも思った。
芸祭がそれなのかはよく分からない。
もしかしたらコミケや博麗神社例大祭やワンフェスに場違いに成らない程度の武装をして晒されるのもいいのかも知れない。
(少なくとも彼らはお台場くんだりまで買いものにやって来るわけだしね)
黒山塾はイラスト学校の3人で展開してるユニットの様でユニットの名前は結成したイラスト学校の名前に由来しているとか(笑)
芸祭自体わりかし人も入っていてデザインフェスタよりアクリル画が多かったな〜と。
DJブースがない代わりに中村あゆみが〆に歌ったりイベントとしての違いが色々見れて面白かったです。
デザインフェスタの方が売りに拘っているところがあり向いてるかなって思いました。
熊倉氏と待ち合わせ、下村氏と会場で合流。
中々見応えのあるイベントでした。
急なお知らせですが、気付いたひとはぜひ!
3月8日(日)
GEISAI#12
ブース番号E−067
「黒山塾」
東京ビッグサイト
開場は10:00
閉場は18:00
詳細情報がその他ないんだけど、面白そうなのでいってきまーす。
黒山ってなんでしょうね〜(笑)
写真は昨年末の就職フェス待ちの黒山です。黒いな〜(笑)
雪国では考えられないだろうし、南国でも考えられないこと。
キリンビールの麒麟みたいに知らないモノは解らない。
共有が体験として無いから言葉や絵じゃ伝わらない。
(俳句の句会などで良く話題になる)
写真は、デジタルになってから意味合いを広めたと思う。
写してすぐ公開も夢じゃない。
コミュニケーションや芸術というより視覚体験を共有する手段として。
写真は人に近いメディアにランクアップしたんじゃないだろうか。
来場頂いたみなさま、スペシャルサーンクス!
で、展覧会はなぜかここ数日の間(恐らく来週いっぱい)は次の展示までアンコール開催してます。
お近くの方はぜひぜひ。
http://artpal.jp
★展示を終えて★
以前も恵比寿の飲み屋で展示をしていたことがありますが、やはり飲み屋での展示は難しいなーと。
何を見せるか、
どれくらいの見る時間を想定しているか
安らぎか?
派手さか?
サイズは?
年齢層は?
エロいの?
どうなの?
あと忘れちゃ成らないのが店主の意向
(今回は黒、夜の街を多く、夕焼けとかが欲しいと)等々…
それらを受け今回も恵比寿の飲み屋に続き「リラックス感」を主題のひとつに
それと新しく都市とひとの結び付き
あとタクシーの艶を出した。
人が写っていない写真達だけど都市とひとの生活が絡む。
用がある人を運ぶ、運ばれるそのドラマ性。
店の雰囲気、遊びにくる人の気分のプラスになるBGM的な居心地感を提供したい。
心落ち着ける旅行的な写真…。
でも、基本、飲み屋の客は写真なんか見ていない。
そこに尽きるんじゃないかな。
飲み屋の展覧会で写真が売れるなんてことはまず無いしね。
今回はコミュニケーションのある下町、根津という場所だけに、飲み屋なわりにわり合いとじっくりと見てもらえて居たんじゃないかな?とも思う。
錯覚?
飲み屋での写真展をやる意味や意義は、写真とか芸術なんかに普段あまり触れて無い人や興味が無い人にもメッセージを伝えることが出来るところに意味があるのではと。
オーナーは客が喜ぶから「人の写っている写真を出してよ」と言うが、
人が写っている写真に人が興味をもつのは当たり前だし、それでは写真としての提案が無いなと思ったので今回の出展内容にした。
(アイドルの水着写真が「マンガ」雑誌に載るなど人がでている写真はそれだけで商業的な意味があるのは良く知っている)
以前この会場で盗撮的な写真をみたことがあるが、僕の主義にその手の写真は反する「そういうのでイイからないの?」と言われたが無いし断った。
僕は、人の写真を撮る際にかなり気を払っている。その上で成立する撮る側と撮られる側のお互いの合意がある写真が好きだ。
で、いま、久しぶりにそういうのを撮ろうとも思っている。
まぁそれらはまだ撮ってもいないので別の機会に別の場所で発表するのだと思う。
暫し構想を固め、撮影枚数を重ねていこう。
追加で延長があるかも知れないけど、とにかく千秋楽だ。
友達も来てくれる。
その前に家でゴロゴロ。
「包帯クラブ」という映画がテレビでやってて石原さとみとRoom of Kingでアイドルアサちゃんをやってお団子顔の娘が出ていた。
中々見応えあったし、ちょっといい気分になった。
中で写真を撮っているシーンが多いのだけど、友達の写真を撮るのもいいかな?って思った。
昨日来てくれた来場者の後輩に会って少しそう思えた。
まずは自分を撮ろうかなともね。
とにかく今年は絵と人を撮る腕を上げよう。